たふ講座「室町時代」
今日は、袋布向春園さんのお茶の歴史講座に参加させていただきました♪
3回講座の2回目と3回目を、一日集中講座にまとめて参加です。
先生はもちろん橋本素子先生。
ちなみに1回目の内容はこちら。
ついて早々、頂いたのがケニアのお茶。
ミルクで割って頂きました^^
ちょうどお昼時でもあり、
五穀米を使ったおやきを頂きました。
のりではさんで、しょうゆと山椒をかけて・・おいしいっ!
そしていつもの如く・・怒涛のようにお茶&お菓子が!
一番奥は、静岡のうなぎパイ、真ん中左が俵屋吉富のリキュールボンボン京野菜、真ん中右が與兵衞桃林堂の桃李もなか。
手前は、亀屋良長の新しいブランド Satomi Fujitaのギモーブ。
抹茶と桜の色がまたいいですね。マシュマロみたいにふんわりした上品なお味です。
そしていよいよ講座の始まりです。
とりあえず、静岡の「てっちゃんのいっぱい」を頂きながら・・。
飲みなれている深蒸し茶、やっぱおいしいわぁ~。
実は私も茶の湯ってよくわかってなかった。
『千利休が茶の湯を大成』ってよくいうけど、結局のところ何をしたんだ?と。
茶の湯=茶道
という公式を、頭の中で結び付けて納得するようにしていました^^;
『日葡辞書』というポルトガル語で書かれた日本の辞書によると、
もともと茶の湯という言葉は、
茶をたてるための湯を沸かして、それを飲む支度をする所とか、茶を飲むのに使う湯のことを指すのだとか。
本当に、その名の通り、茶のためのお湯のことだったのね!
そして、深く考えたこともなかったけど・・
当時から、お茶を点てる人と、運ぶ人というので役割が別れていて、
点てる人よりも運ぶ人の方が身分が高い人なんだって。
点てる人は、あくまでも裏方。
別の部屋で点てたり、お客様と同じ部屋にいても、屏風などで区切ってその見えないところで点てていた。
そしてあくまでも、お客様と接するのは身分の高い人。
というのも将軍にお茶を出す場合、お目通りができるほどの人じゃないとできないわけです。
なるほどなぁ・・。
そんな裏方が、だんだん時代が変わっていくに連れて、
今の茶道のように、お客様の目の前で点てるものに変わっていく・・。
これはほんとすごいことですよね。
素子先生いわく、「文化の下克上」
これを完成させたのが、千利休ではないか・・。
そう言われると、納得です。
すごいことを成し得たのですね。
資料には、将軍の御休処の棚の飾り方の絵や文も残っています。
点て方は書いておらず、運び方や飾り方がきちんと書いてあるというのも、興味深いことですね。
点てることよりも、将軍が目にする飾り棚や、直接お運びする運び方の方が大事だったのですよね・・。
さてここでちょっと休憩。
講座の内容に合わせてか、お抹茶「雲龍」登場。
さきほどのお菓子をちょこっとづつ載せて・・。
まだまだ回ってくるお菓子たち・・。
まだあるのか・・(笑)
左は、緑寿屋清水の桜の金平糖。おしゃれな容器にいれてあって、素敵です。
これは、おざわ製茶さんの「峰香」。
同じ静岡でも全然違います。
てっちゃんのいっぱいよりは、あっさりめで若干渋みもあるお茶でした。
終わらないので次へ続く・・w