一茶一菓

日本茶インストラクター&フードコーディネーターとして「食生活でこころとからだを元気にしたい」という思いから活動しています。

宇治七名園

鎌倉時代(1191年)、栄西が中国(宋)からお茶の種を持ち帰りました。
栂ノ尾高山寺明恵上人に贈り、宇治で播いたのが宇治茶の栽培の始まりとされています。
室町時代、将軍足利義満は後に「宇治七名園」と呼ばれるすぐれた茶園を宇治の地に作ったといわれています。


1564年の『分類草人木』にも、
相国御園森、川下、武衛園朝日、京極園祝・奥ノ山、山名園宇文字、その後、上林これを加え、七種の園と号く。
といった記載があります。
※ただし、これは「茶道全集」に入っているもので、原本は紛失されているため、確認はできません。
本来の場所も違う可能性もあります。


また、「森 祝 宇文字、川下、奥ノ山、朝日につづく琵琶とこそしれ」の歌でも知られています。

それを踏まえた上で、中世のお茶の研究者の橋本素子先生とともに、
宇治七名園を巡るツアーに参加してきました。
以下の写真は、回った順番とは異なります。


①宇文字園跡
JR宇治駅前にあります。
こんなところにあったとは・・知らなかった!
駅周辺に大きな茶園があったとされており、明治29年(1896年)に鉄道の開通で分断されて、
大正15年には日本レイヨン(現在のユニチカ)工場ができて、茶園はなくなってしまったとか。
碑ももともとは宇治警察署の前庭に建てられたが、その碑は不明に・・。
そのため、案内板だけあります。

①祝園跡
JR宇治駅の改札を右に出て、少しいったところにあります。
ただ・・マンションのみで何も名残はありません。
マンションの前は病院だったとか。

③森園跡
京都府宇治総合庁舎の一本手前の道を右に行ったところの、
一軒家の前にあります。
「森」しか見えません・・。
ここにも案内板があります。

④琵琶園跡
宇治市役所前にあります。
お茶の木がありますが、これは最近のもの。
この琵琶園は、当時の名族上林氏によって開かれたともいわれています。

伝えによれば、新町通りから一の坂を登りきった西町のあたりが、
本来の場所といわれているそうです。

⑤川下園跡
JR宇治駅を京阪宇治駅に向かって歩いていく途中で、左のガードをくぐったところの一軒家の前にあります。
さ、寂しすぎる・・。


⑥奥ノ山園跡
当時は、京極氏の茶園とされています。今は堀井七茗園が継がれています。
この茶園で栽培されていた茶樹は、200年以上の古木で、在来種が約1800本ありましたが、
昭和56年から優良選別に取り組み、在来種は「成里乃」と「奥ノ山」に絞って作られています。
※堀井七茗園の社長直々のご案内で見せていただいております。
個人の敷地です。覆いをしていなければ見れると思いますが、
覆いをしているときは、勝手にめくったり入ったりしないようにしてくださいね。




⑦朝日園跡
こちらは、朝日焼きの裏手にありますが、民家の一角です。
中には入れないため、こっそりズームで撮影しております。
すみません、とここで謝っておきます。m(__)m