一茶一菓

日本茶インストラクター&フードコーディネーターとして「食生活でこころとからだを元気にしたい」という思いから活動しています。

「いただきます」と「ごちそうさま」

「生きるということ」

これは誰もがぶつかる壁でもあると思います。
 
なぜ生きているのか
何のために生きているのか
 
私がこのことを深く考えるようになったのは、
小学校3年生のことでした。
教科書に載っていた、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩に出会い、
生きるっていうことはこういうことなのかなあと、漠然と感じました。
 
当時から、私はちょっと変わった感受性を持っています。
あるとき、友達のマネをして、使いさしの消しゴムを定規で切りました。
そしたら、なんだかとても消しゴムが痛々しくて、悲しくて、
その罪悪感に涙が溢れました。
そして「ごめんね」と消しゴムに謝るような子でした。
それ以来、消しゴムを切ることはしたことがありません。
 
またあるとき、家族で神戸の異人館へ行きました。
お昼に子羊をはじめて食べ、それはそれは美味しかったのですが、
子羊を美味しいといって食べている自分に、
罪悪感を感じ、20歳過ぎるまで子羊を食べませんでした。
その後もまだ二度ほどしか口にしていません。
 
私はどんなものにも命があると思っています。
こころもあると思っています。
たとえそれが生きものでなくて、時計やかばんだったとしても。
ものが作られて、自分のもとに来るまで、たくさんの人の手を介して、命が吹き込まれているからです。
 
そして、たくさんの命を犠牲にして、私たちは食事をし、
エネルギーに変え、こうして生きています。
人間がこの世で1番、残酷な生きものではないでしょうか?
 
ではなぜそこまでして生きるのか?
 
それは伝えなければいけないことがあるからじゃないでしょうか?
喜び、悲しみ、憎しみ、愛しさ…それら全部引っくるめて、
後世に残そうと思うのは、きっと子孫繁栄の遺伝子があるからだと思う。
それは子供に限らず、先祖が残してくれた、文化であったり、伝統であったり、形は様々。
 
生きていく限り、何万、何億もの命を、
越えていかなければなりません。
そうしてその大切な命を頂く以上は、
できるだけおいしく、無駄なく、楽しく頂くことが、
その命の代償への、せめてもの罪滅ぼしであり、感謝にもなるのではないでしょうか?
 
それが「いただきます」「ごちそうさま」という言葉だと思います。